記事: 保健室でみえた食卓のかたち ー それぞれのお弁当編 ー
保健室でみえた食卓のかたち ー それぞれのお弁当編 ー
食卓のかたち。
それは家の中だけにあるものではないように思います。
朝ごはんを食べて、「いってきます」と家を出る。
その先にも、それぞれの食卓があります。もちろん子どもたちにも…
今日はそんなお弁当の時間のお話です。
お弁当箱のふたを開ける瞬間。
私にとって、その瞬間は毎日なんだか少しだけ特別な時間でした。
4時間目が終わると
「今日は何が入っているかな」
とワクワクしながら、お弁当箱を開けるんです。
そこには、朝早くから母が作ってくれた、私だけのお弁当がありました。
大好きなたまご焼きが入っている日は
「やった!」と心の中で喜んだり。
前日の残り物が入っている日もあれば、
大きなおにぎりだけの日もある。
焼きそばやたこ焼き弁当の日もあったな…なんて。
今も思い出すのは、そんなおいしかった記憶ばかりです。
そして今、私も母になり、
子どものお弁当を作るようになりました。
作る側になって初めてわかることがあります。
お弁当はこんなにも小さな箱なのに、意外と悩みます。
野菜は足りてるかな。
食べやすいかな。
栄養バランスは大丈夫かな。
彩りはいいかな。
気がつけば、子どもの頃は何も考えずに食べていたお弁当を
今はあれこれ考えながら作っています。
母もこんなふうに作ってくれていたのかな…なんて思いながら。
朝のお弁当づくりの時間は、本当にあっという間です。
「あと一品どうしようかな」と慌てる朝も少なくありません。
そんなとき、いつも助けてくれるのが麹調味料です。
塩麹や醤油麹にお肉やお魚を漬けておけば、朝は焼くだけ。
甘酒を卵焼きや和え物にほんの少し加えるだけ。
それだけで美味しい一品が出来上がります。
私にとって麹調味料は、手間を増やすものではなく、少しだけ手間を減らしてくれるもの。
慌ただしい朝の時間に少し余裕をくれる…そんな暮らしの小さな味方です。
保健室で働いていた頃、お昼になると、嬉しそうにお弁当の話をしに来てくれる子どもたちがいました。
「大好きなハンバーグだった」
「お母さんが作ってくれた」
「今日は自分でお弁当箱に詰めたんだ」
子どもたちが話してくれるのは、そんな小さな喜び。
中には
「今日はコンビニのおにぎりだったよ」
なんて話してくれる子も。
そんな話を聞きながら、ふと思うようになりました。
子どもたちが見ているのはお弁当の中身だけじゃないのかもしれない…と。
自分のために用意してもらえたこと。
誰かが自分のことを思いながら朝を過ごしてくれたこと。
そんな目には見えない安心が、お弁当のおいしさにつながっているような気がします。
だから、お弁当に正解はないのだと思います。
手作りのおかずがたくさん入った日もいい。
冷凍食品に助けてもらう日もいい。
昨日の夕飯のおかずを詰めた日もいい。
おにぎりだけの日があってもいい。
コンビニの日があってもいい。
どれもその日暮らしの中でうまれた、その家だけのお弁当なのだと思います。
そして、保健室で子どもたちと関わる中で感じたのは、
お昼の時間にもまた、それぞれの暮らしがあるということ。
友だちと笑いながら食べる教室。
保健室でほっとしながら食べるお昼。
ひとり静かに過ごしたい日もあります。
大切なのは、
その子が安心して、お昼を食べられること。
その時間、自分らしく過ごせること。
それもまた、子どもたちにとっての「食卓」のかたちなのだと思うんです。
子どもの頃は、母が作ってくれたお弁当を、ただ「おいしい」と思って食べていました。
今はその「おいしい」の中に、
母の想いや優しさがぎゅっと詰まっていたことがよくわかります。
だから私もまた、
「今日も元気にいってらっしゃい」
そんな想いを込めながら、子どもたちにお弁当を作ります。
母から子へ。
小さなお弁当箱に込められた思いは、
こんなふうに受け継がれていくのかもしれません。
そして、今日も誰かのお昼の時間をそっと支えています。
朝のお味噌汁の記憶が、心と体に残っていくように。
お弁当箱のふたを開けた記憶もまた、子どもたちの中にそっと積み重なっていく…
そんなひとつひとつが、
子どもたちの心に残る、
それぞれの「食卓のかたち」なのだと思うのです。
PP 塩湯慈恵
